第64回群馬県母親大会が26日、太田市内で開かれました。太田市内での開催は13年ぶりで、今年の記念講演は、NPO気候危機対策ネットワーク代表の武本匡弘さんを講師に迎えての「『海の中から地球がみえる』~気候危機と平和の危機~」。記念講演に先立ち、午前は現地見学会を含めて8つの分科会も開かれました。
私は第2分科会「戦争をとめたい ―太田の空襲を語りついで―」に参加。中島飛行機の太田製作所や小泉製作所への空襲と被害、中島飛行機の地下トンネル工場建設のために強制連行され犠牲になった中国人犠牲者たちの実相が報告されました。被害や戦跡をまとめた紙芝居もの上演され、参加者からは、空襲の実際の体験談や語りつがれてきた話し、戦争をとめたいという思いとともに憲法改悪を止める活動などが語られました。
私は1945年2月10日、16日の二度に及ぶ中島飛行機太田製作所への米軍の空襲による不発弾が43発埋没と記載されている太田市史を紹介。不発弾は小中一貫の市立義務教育学校「北の杜学園」のテニスコート地下に1発、校庭東側のトヨタ運輸敷地内に2発、校庭南側のスバル本工場敷地内に40発もの不発弾が埋没と市史に掲載されていることを報告しました。
そのうえで、23年3月、24年12月と二度に渡り議会で北の杜学園の不発弾の調査を求めたにもかかわらず、当時の市長が調査を拒否してきたことを告発。1度目の質問で市長(当時)が、「市史が間違っているとは思わないが、(不発弾があるかどうか分からないのに)北の杜学園の保護者に(水野が)危険だと知らせるのは、いかがなものか、スバルの問題もある」と答弁したことを報告しました。
2度目の質問での市長(当時)の答弁は、「テニスコートに不発弾があるかないかも分からない。調査は不可能」、「スバルの工場を止めて調査はできない」というもので、まるでスバルのために調査はできないという態度だったことも強調。去年市長が変わった今、学校での子どもの安全に対する市の責任が問われていること、戦争は何十年たっても命を脅かす危険なもので、戦争をさせない、戦争をするためとしか考えられない大軍拡や改憲を止める運動をみなさんと一緒に強めていきたいと結びました。
関連記事











