中島知久平記念・地域交流センター‐用地取得費 2億7,000万円を可決‐共産党は唯一反対
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地域交流センター
用地取得費
2億7,000万円を可決
市議会・教育福祉委員会
日本共産党は唯一反対
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太田市が整備を計画している「中島知久平記念・地域交流センター」の用地を、2億6,848万6,966円で取得することが、7日の市議会・教育福祉委員会(委員名簿はこちらをクリック)で可決されました。反対したのは、日本共産党の私1人でした。
18日の市議会本会議でも、やはり日本共産党の私以外の賛成で可決される見込みです。
この事業は、故・中島知久平氏(現在の富士重工の前身とされる中島飛行機の創業者)が両親のために市内押切町内(旧尾島町)に1931年につくった邸宅周辺の宅地、農地合わせて1万1,982.17㎡を買い取り(坪あたり7万3,821円)、建物を修復・保存し市民の「交流センター」にするというものです。なお邸宅は、今年3月30日に市に寄付されています。
※07年7月5日、地権者である中島家側と市との間で、市議会にもはからずに締結された合意書では、取得価格は2億6,555万4,358円(坪あたり約7万3千円)とされましたが、今回、同委員会で可決された用地取得の費用は上記のとおりです。
総事業費は8億8,000万円
同委員会で可決された用地取得の費用は2億7,000万円ほどですが、この「交流センター」は、2009年度から12年度までの4ヵ年度で整備を終了し、総事業費は8億8,000万円にも及ぶ計画です。8月31日の市議会・教育福祉委員会での私の質問にたいする答弁で明らかにされたものです。
今年5月11日には市教育委員会が、この邸宅を市重要文化財として指定。これを受けて、市は「交流センター」の整備にあたって、この邸宅を「文化財として保存および保護をはかる」としています。
一度は事業費の縮小を
言明しながら
07年11月14日、私も同席した日本共産党太田市委員会(井野文人委員長・前市議)と市との懇談の席上、市長はこの「交流センター」(当時は「中島航空記念公園」という事業名)について、「3億円程度の予算しか考えていない。国庫補助が4割あるので、実質、市の負担は1億8,000万円程度」と答えていました。
それが、どうして、事業費が8億8,000万円にまで膨れ上がるのか、そもそも切実な市民要望とはいえない事業であり、国庫補助が4割あるとしても、市の負担は5億2,800万円にもなり、結局、市民負担増にもつながること、文化財となったからといって必ずしも市が買い取る必要はないことなど見過ごせない問題があります。
4日の本会議では、こうした問題点とともに、中止すべき事業であることを指摘して市長の考えを質しました。
しかし市長は、「8億8,000万円という事業費はまだ確定していない。いま考えているのは、まず屋根を修復して雨漏り対策をすること。復元はお金がかかるので考えていない」というだけで、今後の事業費をどこまで縮小するのかさえ、具体的な答弁を避け、あらためて中止の考えはないことを明らかにしました。
問われる税金の使い方
市も税収の落ち込みが心配される財政状況にあり、同時に、この間の自公政権の国民負担増から、どうやって市民の暮らしを守るかが問われているいま、税金の使い方、優先順序もこれまで以上に問われます。
これ以上、不要不急の公共事業に大切な税金を使わせず、名実ともに、市民の暮らしを守る市政に転換するために、これまで以上にみなさんと力を合わせてがんばります。
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用地取得の理由とはならない
2009年06月07日 当ブログ記事
コメント
コメント一覧 (3件)
へぇー
正巳、頑張ってるねぇ!!
市議になったなんて知らなかったよ。
たまには北檜山にも帰っておいで!
久しぶり!
ヤッキョクへ
コメありがとう!
懐かしいなあ!
みんな元気にしてるかい?
すっかりご無沙汰してしまって、申し訳ない。
今年の11月30日で、群馬に来て、もう12年になるよ。
毎年、「今年こそは帰ろう」と、お盆とか正月とか、割と時間をつくりやすい11月はじめとか、その時期になると、考えるんだけど、もう7年も帰ってないなあ。
周りの人からは「親不孝者」と言われ続けてる。
今年の秋こそ、帰りたいなあ!と思ってる。
ゆっくり、会いたいねえ。
いままでも、帰っても、ヤッキョクのとこには顔出せなかったからなあ。
追伸
このコメントをお読みいただいたみなさんへ
「ヤッキョク」とは、コメントをくれた「北川泰弘」氏のことです。
同氏は、私の高校時代の同級生で、家業が薬局であることから、同級生からは「ヤッキョク」と呼ばれていました。
現在も、地元の北檜山(現在は合併によって、瀬棚町北檜山区)で、「北川薬局」を経営しています。
もう亡くなった親父さんの時代から学校薬剤師をしていて、たぶんいまでも続けているはずです。
地域にもかなり貢献しているようです。
お近くに行かれた際には、ぜひ、お立ち寄りのうえ、ご利用いただければありがたいと思います。
訂正
みなさんへ
訂正です。
前コメントの「瀬棚町」は、正しくは「せたな町」です。
「せたな町」のみなさん。
故郷の名称を間違えてしまい、申し訳ありません。