
日本中国友好協会群馬県連合会(日中友好協会群馬県連・廣田繋雄会長)主催による第74回中国人強制連行殉難者慰霊祭が5日、太田市西長岡町の長岡寺(酒井晃洋住職)で開催されました。同会県連は今年で創立72周年を迎えます。
事件の概要と犠牲者・遺族を支援してきた日中友好協会の活動はこちらからご覧いただけます。
●中国人強制連行 藪塚・月夜野事件 群馬訴訟を支援する県民の会のホームページ
主催者あいさつで廣田会長は、長野県の御嶽発電所建設での過酷な強制労働後の1945年4月に中国人276人が鹿島組(現・鹿島建設)による太田市藪塚本町地区の旧中島飛行機地下工場建設のため連行され50人が亡くったとして、強制連行・強制労働に対する賠償を求めた10年に及ぶ裁判も賠償がかなわないまま終了したことを報告。「ますます重みを増す追悼の活動を末永く続けていきたい」と決意を述べるとともに、高市首相の「台湾有事発言」の撤回を求め、敵基地攻撃能力を強めながらアメリカととともに戦争国家づくりを進める危険な動きを止めるため、同会設立当初からの「日中不再戦」の誓いを守り抜くため活動を続けたいと語りました。
中国大使館 公使参事 アタッシェが参列
慰霊祭には、中国大使館から王琳公使参事、宋啓恒アタッシェ(外交官)が参列。王公使参事はあいさつで、日本の侵略戦争の犠牲となって強制連行された、旧中島飛行機地下工場建設現場で亡くなった50人を含む276人の犠牲者に哀悼の意を表明。そのうえで「日本の指導者たち(高市政権)によって危険な方向に進んでいる」と指摘しながら、日中友好協会とも連帯して戦争のない世界をつくるために取り組んでいきたいと語りました。
日本共産党を代表して連帯あいさつ
私も日本共産党を代表しての連帯のあいさつで、日本の侵略戦争の犠牲となって亡くなった強制連行殉難者のみなさんに哀悼の意を表明。日本政府が過去の侵略戦争や強制連行の過ちに向き合い、賠償責任を果たして9条を生かした平和外交と国づくりを進めなければならない責任がますます問われていると強調しました。
「台湾有事発言」 アメリカとイスラエルによるイラン攻撃
友好と平和は間違いを正すことから
あいさつで私は、高市首相が「台湾有事発言」を撤回も謝罪もしないとして、本当の友好と平和は間違いを正すことから始まると強調。高市首相がアメリカとイスラエルによるイラン攻撃が国連憲章にも国際法にも違反していると批判せず、攻撃の即時停止も求めず、国内の複数の港からアメリカの戦艦がイラン攻撃に出撃することにも中止を求めず、日本のタンカーが原油を積んでホルムズ海峡を通過するための協議をイランから打診されても協議に応じず、武器輸出三原則を見直し死の商人国家への堕落も気にしないどころか、武器を売って儲けようという態度であることも告発しました。
そのうえで、これほどまでに、大軍拡•大増税を止めて暮らしと平和を守る運動を強めながら広げることが切実に求められている時はないとして、ご一緒にがんばりましょうと呼びかけました。
中国大使館 王公使参事 宋アタッシェ、トンネルの会代表と旧中島飛行機地下工場跡を視察
慰霊祭後は、中国大使館の王公使参事、宋アタッシェ、日中友好協会県連の廣田会長や、中島飛行機太田地下工場跡を保存する会(トンネルの会)の石塚久則会長とともに、長岡寺に近い市八王子山墓園内に残る旧中島飛行機太田地下工場跡を視察。王公使参事の質問に石塚会長がていねいに答えました。
中国大使館 王公使参事 宋アタッシェと懇談
日本と中国は互いに脅威とならない
2008年 日中共同声明
旧中島飛行機太田地下工場跡の視察後は、日中友好協会県連の廣田会長とともに中国大使館の王公使参事、宋アタッシェと懇談。2008年の福田康夫首相(当時)と中国の胡錦濤(こ・きんとう)主席(当時)が交わした「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」が、「双方は、互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならないことを確認した」と明記していることが話題になりました。
王公使参事は、「中国は台湾を武力で統合・支配しようなどとは考えていない。もし考えているならとっくにそうしている」と発言。廣田会長も私も、全く同感であり、高市首相の「台湾有事発言」は内政干渉であり、なにより2008年の「日中共同声明」に反しており、憲法9条にも反すると応じました。
故郷には親日感情を持つ人が多い
懇談では王公使参事から、自身が東北部(旧満州)の吉林省出身で、小学校時代の同級生に中国残留孤児が2人いて、故郷では親日感情を持つ人が多いことも話されました。
私の先輩ですね 水野さんが共産党に入った理由は?
また王公使参事から、「水野さんが共産党に入ったのはいつですか」と聞かれ、「1997年7月です」と答えると、「先輩ですね」と言われました。聞くと王公使参事が共産党に入ったのは1997年11月だそうです。
さらに王公使参事から、「水野さんが共産党に入った理由は」と聞かれ、「日米安保条約が日本を守るためのものでないことは以前から知っていましたが、日米安保条約によって経済的にも日本国民が苦しい状況に置かれていることが、当時住んでいた故郷、北海道せたな町の日本共産党の町議から渡された党綱領パンフ(当時)を読んで分かって、日本共産党が一貫して日米安保条約の廃棄と戦争反対、国民の苦難の軽減を掲げて活動を続けていることが分かったのが理由です」と答えました。
懇談では、私が日の丸にはお辞儀したくないとSNSに投稿すると、1時間も経たないうちに「中国の国旗にはお辞儀するのだろう」だとか、「中国に帰れ」などというコメントが湧いてくること、中国人がたくさん日本に来るから日本人が大変になるなどというデマがネットの世界で氾濫していることも話題に。私は、そのうち「中国人強制連行もなかった」などというデマがネットに溢れないように、歴史の事実を正確にたくさんの人に知ってもらう運動が本当に大事になりますと話すと、王公使参事も宋アタッシェも深くうなづきました。
廣田会長からもこれまでの長い活動での思いが語られ、1時間ほどでしたが終始なごやかな会話が続き、「どこかでまたお会いできるとよいですね」と言葉を交わして廣田会長と一緒に二人の外交官を見送りました。





