@863works 申し訳ありません。まさか、国の補助金が学童クラブだけ申請後の設計変更を認めないとは、思いもよりませんでした。ただ国が認めないのは設計図の変更だけだそうです。私もどうにも納得できないので、党の国会議員団に相談するため文書を送りました。
日本共産党の元太田市議、天笠茂さんが今日の未明に亡くなられました。1971年から5期20年間、市民の暮らしを守るため力を尽くされ、91年の市議選で故竹内和代市議にバトンを託し、その後も9年前まで共産党の見解を報じる太田民報の編集・発行責任者を務めました。享年85歳でした。
今日未明に亡くなられた共産党の元太田市議、天笠茂さんは、党としてはじめて旧尾島町での党議席の空白克服に挑戦した私の最初の尾島町議選、2度目の挑戦で初の党議席を獲得した町議選でも、私の選挙事務所長を務めてくださった方です。選挙や自治体分析のいろはを教えてくださった恩師でもあります。
亡くなった共産党の元太田市議、天笠茂さんは1947年9月4日、19歳の誕生日の3日前の入党。戦後の66年あまりにわたる党員人生です。共産党員であること自体が非合法とされた時代が終わった戦後の活動とはいうものの、不当な弾圧や迫害が色濃く残る時代を生きぬいた先達です。
元市議の天笠さんの逝去で思うのは、不当な弾圧や迫害が色濃く残る時代でも、財界・大企業中心、アメリカ言いなり政治から国民が主人公の政治への転換という共産党の旗を高々と掲げ、国民の苦難軽減という立党の精神を現実の活動で貫いた強固な意志を今を生きる私達がしっかり引き継がねばということ。
今は亡き天笠茂さん。あなたが守ってきた太田市での共産党の議席と暮らしや地域経済を守る取り組みは、1991年市議選で故竹内和代元市議に、99年市議選では故竹内市議に加え井野文人元市議にも引き継がれました。そして今は、また今後も私と渋沢ゆきこ市議があなたの意志をしっかり引き継ぎます。
dairy twit 紙が更新されました ! paper.li/mizuno_masami/… おかげで @KoyagiNoMori @mikiyakamiyoshi @tw_niigata
うぅ~ん。私のプリンター、EPSONのLP-S1100では多当紙の印刷はどうやら無理でした。なので、せっかく買った多当紙なのにプリンターで印刷できるように2つに切って印刷してから貼り合わせました。ロール紙対応のプリンターならいいのですが。まあ、多当紙なんてめったに使いませんから。
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