2009年度・事業費3億円――中島知久平記念・地域交流センター

  市の09年度予算は、中島知久平記念・地域交流センター(08年度までは中島航空記念公園と呼称)整備事業として、3億円を計上しています。この事業は、故・中島知久平氏(現在の富士重工の前身とされる中島飛行機の創業者)が両親のために市内押切町内(旧尾島町)に1931年につくった邸宅周辺の宅地、農地合わせて1万1千982.17㎡を買い取り(邸宅は寄付)、建物を修復し市民公園にするというものです。

議会にかけず取得を約束

  この事業にたいする国庫補助確定後の用地取得を取り決めた合意書が、すでに07年7月5日、地権者である中島家側と市との間で、市議会にもはからずに締結されています。取得価格は2億6千555万4千358円(坪あたり7万3千円)とされます。

維持・管理費で市民負担増
切実な市民要望とはいえない


  すでに市から依頼を受けた太田市土地開発公社が用地を取得。今年度中に、同公社から市が用地を取得する議案が議会に提案される見込みです。
 この事業は、そもそも切実な市民要望とはいえず、今後の維持・管理費も市民負担増につながることが予想されます。いまの社会経済情勢と市の財政を考えれば、ただちに中止すべきものです。

重要文化財指定は
用地取得の理由とはならない

  今年4月17日には、太田市文化財調査委員会議が開かれ、旧中島知久平邸(主屋、蔵、表門、門衛所、屋敷神社殿)、附主屋棟札、門衛所棟札などを太田市重要文化財として指定するよう、市文化財保護条例第11条第2項にもとづき、教育長に意見が具申されました。
  これを受けて、5月11日の市教育委員会定例会の審議では、旧中島知久平邸を市重要文化財として指定しています。

  しかし市重要文化財としての指定は、市がその建物や周辺の土地を買い取らなければならない理由とはなりません。
  たとえば、北海道檜山郡江差町の歴史的建造物とされる「旧中村家住宅」は、1971年12月28日に国指定重要文化財として指定され3年後に同町に寄贈されていますが、同じ江差町で1963年12月24日に道指定有形民族文化財として指定された「横山家」は、同町が買い取ることも寄贈されることもないまま今日にいたっています。

  有形民俗文化財だから自治体が買い取る必要がなく、重要文化財だから自治体が買い取る必要があるということにはなりません。
  重要なのは、歴史的価値が高いものでも、必ずしも自治体が買い取る必要はないということです。

故・中島知久平氏の経歴

  故・中島知久平氏が中島飛行機の創業者であることも重大です。戦時中、中島飛行機が日本の侵略戦争を推進するための戦闘機をこの太田市周辺でつくっていたのは紛れもない事実です。戦時中のこの地域は、軍需産業があることから、米軍の爆撃が集中し、その爆撃を避けるため蚕小屋で戦闘機の部品をつくりはじめたら、今度は蚕小屋が爆撃を受け、関係のない養蚕農家まで犠牲になったという証言もあります。
  そうした故・中島氏の経歴をどう評価するのかも考慮する必要があります。
  中島飛行機があったから、この地域は戦後、自動車産業を中心としてめざましい産業の発展を遂げられたとする声もあります。しかし、そうしたことを仮に故・中島氏の“功績”と考えても、その“功績”によって爆撃の犠牲が帳消しになるわけではありません。
  「戦犯ではないのだから」という声もありますが、それでも、中島飛行機があったことによる犠牲は帳消しにはなりません。

急速な景気悪化
限られた財源の使い方・優先順序

  急速な景気悪化が進むもとで、限られた財源を市民のいのちとくらし・雇用と地域経済を守るために、どう有効に使うのか。税金の使い方の優先順序はどうあるべきなのか。これらのことを考えるとき、中島知久平記念・地域交流センターの整備とそのための用地取得は市の仕事してふさわしくはありません。

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