論語 「謹權量、審法度、修廢官、四方之政行焉…」


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  いささか突然のように思われるかもしれませんが、論語の「謹權量、審法度、修廢官、四方之政行焉。興滅國、繼絶世、擧逸民、天下之民歸心焉。所重民食喪祭」という一節を紹介します。

Bitter & Sweet さんのブログで知ったのですが、この一節は政治家にとって、とても大切だと思います。

Bitter & Sweet さんのブログによると、次のような意味になるのだそうです。

荒廃した国を建て直すには、先ず度量衡を厳格に定め、法令や制度を明確に示し、廃れた官僚組織を編成し直して、天下に遍く公正な政治が行き渡るようにする。

滅ぼされた国を再建して途絶えた家系を復活してやり、隠棲している賢者を探し出して登用すれば、人民は安心して帰順するようになる。
人民の一番の関心事は食糧・親の喪・祭祀であるから、これを叶えてやらなければならない。

「いかになすべきか」ではなく「いかにあるべきか」

Bitter & Sweet さんのブログでは、次のようにも書かれています。

国や企業、団体組織、機関で先ず問われるのは「如何に在るべきか how to be 」であり、「如何に為すべきか how to do 」ではない。
存立の根拠たる理念が在り、それを在らしむる為に「如何に為すべきか」という手段・方法が講じられる。

how to be を問わなくなった時からその集合体は停滞が始まり、衰退する。
how to do の根拠としてhow to be が存在するのであって、ここが問われなければ「現状の固定」が暗黙の了解事項となる。

諸行無常・変化常道の世界に在って、現状固定・常住不変のものごとなどあり得ないのに、そのあり得ないことを前提にして存立しているとすれば、その集合体自体あり得ないことになる。

なお「参考」として、下記のホームページも紹介されています。

「論語に学ぶ会」http://rongo.jp/kaisetsu/list.php
「論語の世界」
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/rongo.html
「論語」
http://www.lib.nakamura-u.ac.
jp/e-lib/ron/head.htm


Bitter & Sweet
Bitter & Sweet さんのブログ「論語 20-02」


「国民あっての国家」か「国家あっての国民」か

  この一節は、どの党も否定できないはずですが、具体的政策=「如何に為すべきか」となると、前政権、現政権、そして日本共産党では、大きな違いがありますね。

  これは、やっぱり、いわゆる国家観=「如何に在るべきか」のとらえ方の違いによるものでしょう。

  「国家あっての国民」「企業あっての労働者・消費者・国民」と考えるか、それとも「国民あっての国家」「労働者・消費者・国民あっての企業」と考えるのかの違いではないかと思います。

  もちろん私たちの考え方は後者とはっきりしています。

  前政権は前者の立場から脱却できなかったということでしょうね。

  そして新政権は、やっぱり現在はまだ前者の立場にとどまっているようにしか見えません。

  この新政権を、より後者の立場に立つよう、動かすのが私たちの責任だと思っています。

  しかし、本質的に自民も民主も「同質・同類」の党であるということが、しだいに具体的に明らかになりつつあります。

  諸行無常・変化常道の世界観、「現状固定・常住不変のものごとなどあり得ないの」というのは、科学的社会主義の土台となる「唯物論」、「弁証法」にもつうじるものがあります。

  あり得ないことを前提にして存立しよう、させようとするから、企業の目先の利益追求のために派遣法を改悪して正規雇用の非正規雇用への置き換えを進める。

  「維持可能な制度」のためとして、社会保障の改悪・負担増を進める。

  現政権でいえば、月26,000円のこども手当のためとして、子育て世帯も含めた多くの国民に増税を求める。
…ということを行おうとするのではないでしょうか。

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